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アトピーと私たち

アトピー、、それもかなり長く症状があって、
そしてかなり遠方にお住いと聞いて、もうその時点で私は、その方に会いに行くと決めてしまっていた。

なんで、そう思ったのか説明は難しい。

うまい具合に一時間ほど東京で会えることになり、お互いに都合のいい蒲田駅で会うことになりました。

蒲田駅、私たちはお互い降りたこともなかった、、
頭をよぎったのは、お互いに、つかこうへいの蒲田行進曲。(階段落ちのシーンが有名な、、1982年の映画。。)

何にもない駅から歩いてアーケードのカフエに私たちは入った。

彼女の仕事は演劇プロデュ―サー。
アトピーは仕事に影響を及ぼさないのか?と漠然と私は彼女の困難を想像した。
影響がないわけない。
席について、最初に彼女は今病院で処方されている薬の明細を見せてくれた。
その種類の多さが、現実の困難を物語っている。

私は、あらかじめ調べておいた薬剤以外の化粧品やシャンプーなどの話をした。
もちろん、それは生活全体の見直しが必要だからなんですが、、、
彼女は既に、自分にあったシャンプー、ヘアカラー、を見つけていたし、化粧はしたことがない。
そこに至るまで、無添加と聞いては使い、人に勧められては試し、あれもダメこれもダメ、、
その末に行きついたのでございました。。と。

もうこれは、物語。ひとりの女性の闘いのね。。

私は自分からもの知り気にアドバイスしよう、、なんて一瞬でも考えたことを恥じた。
そして、そこからは彼女の話を聞くことにしたのです。

もう幼少時から症状があったこと。
ステロイドは常用したくないこと。
そして、それがゆえ、他に治す手立てがないが為、ギリギリ限界でステロイドで症状を緩和させる。
落ち着いたら、また、ステロイドはやめる。
アレルギーが強いこと。
汗をかきにくい体質のため、発汗するような動作をすると一気に体温が上がり大変なことになってしまうのだと。
医師からは、自律神経失調症といわれている。そして今は、更年期らしき症状もあるみたい。
肌につけるものは大変だ。
いくら無添加とかいっても、世間の評判、立派な能書きも彼女には無意味。
使える、使えないが、、即座にわかってしまうのだから。。
彼女がリトマス試験紙のようなもの。

そんなこんなを、もう、蒲田行進曲の映画をやっていた頃よりずっと前から繰り広げ、日々暮らしていたのですね。
それはもう圧倒されます。
そんな人に限って、また、淡々と他人事のように話すもの。

その日の私たちの約束の本題は、ケイ素の説明をすることでしたが、、彼女はすぐにその本質を理解することが出来たし。

いちどにたくさん摂らずに少しずつ少しずつ。
突然、新たなものをいれれば又、その反動が心配な為です。
それもすんなり理解してましたね。。

たくさん、いろんなものを本気で見て試してきているから、、
そうでもしなけりゃ、暮らせないから。。

最後に彼女が漏らした。

「人間が暮らす環境じゃない。」

そうだ、確かにそういえる。

この一言の中に、わたしと彼女の出会いの意味がある。

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