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5.22014
鎌倉の大イチョウ

春休みも終わりの頃、フイラデルフイアの長女が、鉢植えの写真を送って来たことがあります。
珍しくもない鉢植えなんですが、LINEのメッセージを読んでみると。。
「これ、前の主がおいていったミントなんだけど」
「以来、ボウボウ」
「とまらない」
ほう~
「新しく人が入居したから、嬉しくてたまらないような感じの生きいきさ」
植物がうれしい、、?フム。。
「最初、生きてたが ショボイ感じ。」
「こんな、早く育つとは」
「そばの棚にケイ素がぎっしり並んでるから、そのせいかも。」
ウム・・3万Hzの微振動。。
彼女の言葉も弾んでいて、そのミントのこと、時折思いだしていたのですが。。
今朝電話があり、こんな話をしだしました。
一年近くマクロビオティックの学校に通っているのだけれど、米国で学ぶマクロビには、日本で感じる固苦しいいイメージがない。
すごく深くて、からだを観察することから、何か大きい、大きい意味の自然を知ることに繫がっているようなのだと。
今まで、勉強の感想など一度も聞いたことなかったので、それは新鮮な響きでした。
同時に、ミントの写真を送ってきた彼女の心の背景が見えたような気がしたのです。
しかし、はたして、ミントは嬉しくて葉をボウボウさせたのか・・・
実は、さかのぼって3月、だんだん、、というより、突然に、その考えはあらわれた。
今年の3月で、震災から三年目となりましたが、四年前の3月12日に、鎌倉の大イチョウが倒れるという出来事がありました。
御神木なので、なにかと、予言的な意味合いも囁かれたりと、覚えている方も多いかと思います。
それはそれで、千年の樹齢の大銀杏、何を言っても、そうかもしれない。。。
まるで、歴史の生き証人、その大樹の陰から、源頼朝も斬られた。
時の移ろいだけでない。
太陽の輝きや、空気、雨、水、そして、深く根を張っている土。その、変わりざまを肌でもって、直に感じて知っているのです。
騒音と、車の振動やら、それでも立っていた大地の奥深く、樹齢千年のイチョウがおののくほどの兆候を、それが何か得体のしれない大きなエネルギーであると、知ったなら。
木の直観。 動物ならわかるが、植物の直観はおかしいか。
でも、そう感じてしまったのだから、しかたない。
何か迫りくる強大なエネルギーの予兆に苛まれ、イチョウは倒れてしまったのだ・・・
自分でも、突飛な考えは説明不能です(笑)
なので、ミントがうれしいようにボウボウ育っている話を聞いて、植物の知られざる感性を信じました。
もしかしたら、はるか遠く、気が遠くなるくらい、大昔、人は草や木と心通わせ、話をしていたのかも知れない。
直観を司るのは松果体。
松果体は珪素なのです。